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お気楽79号 裏オキラクページ

今週もようこそおいでくださいました\(~o~)/

このところ気温の変化が激しく、風邪ひきさんもちらほらお見かけしますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか?さぁ今週も裏オキラクは熱いです。なんでもお気楽史上最長記録とか。心してお読みくださりましまし。

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■ひで、魂のレビュー

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角松敏生
TOSHIKI KADOMATU
20th Anniversary
“Revenge”-BF1981〜1993-
横浜アリーナ 11月15日(土)17:30

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みなさま、こんにちは。弟のひででございます。今回は、角松敏生のデビュー20周年記念コンサートのレポートをお届けいたします。

角松敏生って誰?とかいう人のために、彼がどんな人だか軽く説明してみましょう。


●角松敏生の予備知識

角松敏生は1960年生まれの東京都出身。大学在学中にビクターに送ったデモテープがきっかけで、1981年、シングルとアルバム同時リリースでデビューを飾ります。そのサウンドは当時流行していたAORの影響を受けたもので、自身の体験に裏打ちされた恋愛をうたった歌詞と、ハイ・クオリティーなサウンドはシーンに衝撃を与えます。しかし、同じような路線を歩んでいる山下達郎という偉大すぎるミュージシャンと比較されることが多く、山下達郎の「パクリ」と形容されることが、どうしても多かったようです。

3作目のアルバム『ON THE CITY SHORE』で初のセルフプロデュース。また、初のオリコンチャートインを果たしたことから、自分の音楽に自信を深めた角松敏生は、この頃から他のアーティストのプロデュースを積極的に手がけるようになります。杏里「悲しみは止まらない」や、中山美穂「You're My Only Shinin' Star」のプロデュースも彼なのです。ご存知でしたか?その他にも、中森明菜、西城秀樹、布施明、ジャッキー・チェンなどのプロデュースも手がけたりしています。

他の人の世話だけでなく、自分のサウンドも新しいものにすべく、80年代後半から、彼はさまざまものを貪欲に取り込みます。80年代にニューヨークで生まれたヒップホップを日本に最初に紹介したのは彼ではないでしょうか。少なくとも、スクラッチを最初にステージで披露したのは彼です。他にも沖縄のサウンドを80年代にすでに取り入れたりして、彼のサウンドは、N.Y.ファンクを主体とした独特のものになっていきます。さまざまなサウンドを「パクリ」倒しても、自分のアレンジを加えて、さらにセンスのいいものにしてしまう。そんな素晴らしいことがこの時期の彼にはできていたのです。この時期のアルバムは、一般のファンにももちろんですが、音楽関係者にも評価が高く、ミュージシャンズ・ミュージシャンとしての地位も固まってきたのです。

こうして順調にキャリアを重ねていくかに見えた角松敏生ですが、プライベートの問題から歌うことができなくなってしまいます。アルバム『あるがままに』は、自分の元を去ろうとしている女性ただ一人のためだけに作られた作品ですが、結局彼女の心を動かすことはできず、1993年1月の武道館コンサートを最後に自身のアーティスト活動を『凍結』してしまいます。人間一人の心も動かせない自分の音楽が、ものすごく意味のないものに思えてしまったのです。自分の体験を削り取って曲にするタイプの彼には、よりいっそうショックの度合いが深かったのです。

しかし、『凍結』期間中もひっきりなしのプロデュースの依頼、自身も参加したバンドのAGHARTA「ILE AIYE 〜 WAになっておどろう」のヒット、そしてファンの熱い声援に応えて、ついに1998年5月に自身のアーティスト活動を『解凍』します。『解凍』後も以前と変わることなく、いやむしろそれ以上に自身のサウンドに貪欲にいろんなものを取り込んでいます。それはシンプルなフォークだったり、アイヌのトンコリだったり。以前よりも質の高いサウンドなのは間違いがないと個人的には思います。でも正直、セールスには結び着いていません。そういうジレンマが今の角松敏生には非常に歯がゆい状況なのでしょう。

「昔の角松敏生よりも、現在の進化するアーティスト角松敏生を見て欲しい。」というスタンスで活動している現在の彼。ですから、コンサートでも昔の曲を歌うこともめっきり少なくなりました。でも、昔の曲を聴きたいというのもファンの偽らざる本音です。そんな彼が昔の曲、正直一番輝いていた時代の曲ばっかりやるコンサートをやるというのです。これはぜひ行かねばなりますまい。ということで、この“リベンジ”コンサートへの期待は、いやでも膨らむというものです。


●どうして“リベンジ”なのか

角松敏生は、実は今年デビュー23年目。なのに、なぜ今年20周年記念コンサートなのか。その訳は、2年前にさかのぼらなければなりません。

2001年、デビュー20周年を迎えた角松敏生は、デビュー20周年記念シングル「心配/YOKOHAMA TWILIGHT TIME」をリリース。そして、8月には約1万人のファンを集めて、20周年記念コンサートが東京ビッグサイト・野外特設ステージで、2daysで行うと発表されました。1日目は「-BF1981〜1993-」、つまり「Before Freeze 〜凍結前」で、2日目が「-AF1993〜2001-」、つまり「After Freeze 〜解凍後」という非常に意欲的なものでした。

しかし、このコンサート、1日目が台風で中止になるアクシデントが発生しました。しかも、中止を決定した途端に空は晴れてきて、開演予定時刻には空には見事な夕焼けが出ていたという始末。せっかくの記念公演に見事なケチがついてしまったわけです。SMAPの10周年もそうですが、こういうときに挫折を味わうってものすごくやりきれないだろうなあと思います。個人的には、20周年記念のシングルに「心配」なんてタイトルをつけてしまうあたりから、ケチはつき始めていたのかもしれないと思いますが。

でも、2日目は急遽1日目のプログラムも一部取り入れて、4時間にも及ぶ白熱のライヴを展開。そのMCの中で、「今年中に1日目の“リベンジ”ライブやります!!」と力強く宣言しております。このコンサートの1部はWOWOWで放映されました。これを録画したビデオ、わたくし今でもたまに見ております。

当然ファンは、「“リベンジ”ライブいつなんだろう」と首を長くして待っていたわけですが、気が付いたら2年もの月日が経っておりました。「もう、やらないのかなぁ」とあきらめモードに入った人も多かった中、突然振って湧いた“リベンジ”のお知らせ。しかも、1日目にやる予定だった構成をいじらずに、バンドも当日のミュージシャンをきっちりそろえてやるというのですから、これでは期待するなということがすでにムリです。


●このメンバーを見ろ!

実は、角松敏生の魅力のもうひとつは、サポートのバンドメンバーにあることは間違いございません。20周年記念の1日目に出演予定だった、そして、当然この日も出演したメンバーは、以下の通り。

<バンドメンバー>

角松敏生/Vocal & Guitar

村上ポンタ秀一/Drums
青木智仁/Bass
小林信吾/Keyboards
友成好弘/Keyboards
浅野ブッチャー祥之/Guitar
田中倫明/Percussion

春名正治/Saxophone
本田雅人/Saxophone
数原晋/Trumpet
横山均/Trumpet
佐野聡/Trombone

高橋ジャッキー佳代子/Background Vocals
鈴木和美/Background Vocals
山田宏/Computer Manipulator


すばらしい。

ものすごく豪華です。豪華すぎます。みんなベテランで、凄腕のミュージシャンだらけ。これだけのメンツが角松敏生のライブには揃うのです。まるで、ミュージシャンの日本選抜を見ているようです。

村上ポンタ秀一は、説明する必要もないくらい有名でございますね。ドラマーとしてまさに日本一だと思います。そんな彼も今年でデビュー30周年。彼のすごさを感じていただくには、30周年記念アルバム『マイ・プレジャー』の参加メンツを見ていただくのが一番早いです。ということでご覧ください。

角松敏生も参加してます。本当にくらくらするメンツです。

ベースの青木智仁は、シーンの登場こそ角松敏生バンドですが、B'zから渡辺貞夫までさまざまなアーティストとセッションを重ね、今では日本一のベーシストになってしまいました。スラップベースの切れは、思わず聴くものの腰を動かしてしまいます。私が印象深いのは、SPEEDのファイナルツアーでのプレイですね。生で見ましたけど、グルーヴがものすごかったです。

キーボードの小林信吾の一番有名な活動は、なんといってもKANの「愛は勝つ」のプロデューサーだったということですね。最近では、もう一人のキーボードの友成好弘「Maochica(マオチカ)」というユニットも結成し、活動しています。最近では、2人一緒に浜崎あゆみのツアーに参加しています。しかも、小林信吾は浜崎あゆみの音楽監督でもあります。

サックスの本田雅人は、なんといっても元T-スクエア。T-スクエア脱退後も、積極的に活動している、フュージョン界の若き貴公子です。圧倒的なテクニックと、素晴らしい音色、そして独特なメカニカルな曲で、ファンを魅了しています。

そして、トランペットの数原晋。おそらく、このバンド最年長。スタジオミュージシャンとして、参加した曲は数知れず。有名なところでは、大野雄二のルパン3世のブラスセクションのリードトランペットもこの人です。80年代に発売されたCDのブラスセクションのクレジットには、彼の名前がたくさん見られます。現在でも毎月必ず彼の音が入ったCDが発売されているのでは、と思います。角松敏生との共演は、2001年の東京ビッグサイト以来でしょうか。あ、NHKの「お江戸でござる」のトランペットもこの人でした。

ちょっと紹介しただけでも、こんな感じになってしまいます。その他のミュージシャンももちろんスゴ腕揃い。それぞれが自分の名前でコンサートを開けるようなメンツの集まりなのです。ですから、角松敏生の歌にちっとも興味がない人もバンドマンに魅かれて見にくるのが多いというのも、うなづけるってもんです。


●すごかったぞ、このコンサートは

お待たせいたしました。やっと当日のお話になります。

とりあえず家を出る前に20周年記念のビデオを再び見て、バッチリ雰囲気をつかんでから会場の横浜アリーナへ。開場予定時間の16:30ちょっと過ぎくらいに着いたのですが、なんと、まだ開場しておりませんでした。なんでも、ステージの最終調整が押しているおかげで開場時間が遅れているとのこと。まだかなぁ、と思っていると、あれよあれよと言う間に横浜アリーナの入口近くには黒山の人だかりが。客層はやっぱり30代から40代くらいの方が多かったでしょうか。男女比は半々くらい。並んでいたときにそばにいた若い夫婦は、携帯電話に向かって子供に一生懸命フォローを入れています。どうやら、小さな子供を置いてきて、夫婦で見に来ているつわもののようです。

結局、開場したのは30分遅れくらい。座席に着いて周りを見れば、折っています。みんながみんな紙飛行機を。入場のときに貰うチラシの類は、彼のコンサートではほぼ紙飛行機になってしまうのです。どういうことかって?最近のコンサートではあまりやらない、ある曲のお約束で必要なのです。みんな「今日はやるだろう、リベンジだし。」と思って、せっせと折っています。今日初めて彼のコンサートに来た方は、最初こそポカーンとしているものの、すぐにつられてせっせと折るはめになります。もちろん私も折りましたよ。しかし、紙飛行機なんて折るのはずいぶんと久しぶりだったので、あまり上手くはできませんでしたけれども。これはまあ、後のお楽しみということで。

そうこうしている間にも、横浜アリーナの1万人以上の座席が見事に満席になりました。すげぇ、角松ファンってまだこんなにいたんですね。なんて思わず失礼なことを思ってしまいました。

そして、約30分押しで、いよいよ客電が落ちました。

ステージ上のモニターに出てきたのは、2001年8月の台風の映像。そう、幻の20周年記念コンサート1日目の日の天候です。それから、デビュー当時の角松敏生の姿が。大き目のメガネをかけている姿が時代を感じさせます。当然会場からも数々のどよめきが聞こえてきます。そして、80年代の映像、凍結ライブの映像、解凍ライブの映像、現在の映像などが続いて、いよいよリベンジの開始です。

オープニングは、デビューシングルでもある「YOKOHAMA TWILIGHT TIME」。思ったこと。まず、村上ポンタ秀一のドラムはやはり素晴らしい。よく歌うというか、彼のリズムを聞いていると、メロディーやハーモニーも聞こえてくる気がします。絶妙なタイミングで入るフィルインがまた素晴らしい。どうしても耳が釘付けになってしまいます。

また、ブラスセクションも素晴らしい。音がビシビシ耳に突き刺さってきます。っていうか、こんなにブラスの音が立っているコンサートは初めてかもしれません。ブライアン・セッツァー・オーケストラよりもド迫力で迫ってきました。バンドメンバーの予算はブラスセクションから削られるのが通例のこの世の中で、5人いる自体でもう贅沢なのに、達人が集まっていますからね。もうこれだけでお腹いっぱいって感じです。

1曲目が終わると、「駆け足で11年間を振り返ります。」の声と共に始まったのは、40分にも及ぶ超メドレー。2ndアルバムから凍結直前の『あるがままに』まで、歴史を紐解くように次々と曲が展開されます。途中で3人のブレイクダンスのダンサーが現れたり、「LUCKY LADY FEEL SO GOOD」「I CAN'T STOP THE NIGHT」では久々のスクラッチプレイを披露したりしてくれました。ここでの白眉は、サックスの本田雅人。彼のソロは一音で世界が変わります。生ではじめて聴いたんですが、これにはビックリ。うーん、素晴らしい。それにしても40分。コンサートでこんなに長時間のメドレーを本当にやってしまうのは、カシオペアか角松敏生くらいしかいません。それくらい人間の限界に挑戦する荒業だといえるでしょう。角松敏生もさすがに最後の方は歌うのがつらそうでしたが、それでも歌い抜いてくれました。

実はこの2曲、20周年記念コンサートの2日目でもそっくり同じようにやりました。私は出かける前にこのビデオを見ていたおかげで、ミュージシャンたちが何をやっているかよーくわかりました。まったく同じかよ、とちょっとだけビックリしちゃいましたけどね。でもまさか、生でこのメドレーを見られるときが来ようとはと思い、ちょっと感激してしまいました。

そして、MCです。内容はこんな感じでした。

・リベンジを2年間待たせて、申し訳ありませんでした。
・チケットの払い戻しだけで1年以上掛かった。
・実は、2年前のライブのとき、2、3日前に母親がいやな予感がすると言ったので、あわてて保険を掛けた。
・保険を掛けていなかったら、ライブ中止で億単位の赤字になるところだった。
・保険を掛けていても全額おりなかったので、数千万の赤字になり、チケットの払い戻しをするお金がなくなった。
・よって自分と両親の貯金を崩して払い戻しに充てた。

今だからこそユーモア交じりに話していますが、ずいぶんとお金で苦労したようですね、角松さん。

MCはまだまだ続きます。

・これでも昔は黄色い声援が多かったんだぜ。
・昔の曲を20年前の昔の気持ちになって歌うなんて、無理に決まってんじゃん。
・実は、初めてオリコンチャートインした3rdアルバムの発売が、ちょうど今から20年前。
・角松敏生が音楽だけで食っていけると確信できてから20年なので、今年が真の20周年である。

うんうん。そうだ。まさにおっしゃる通りでございます。

20周年記念の初日が中止になってからしばらくした後、「台風が来たのは、『まだ20周年記念じゃないんだよ、もうちょっとよく考えてみろよ』と神様に言われたんだと思っています。」というコメントも残した角松さん。そういう風に考えられるのって、とても素敵なことだと思います。

またまた、こんな話も。

・記念コンサートは普通ゲストがつきものだが、バックのミュージシャンひとりひとりがすでにゲスト状態。
・ミュージシャンにお金を掛けすぎて、舞台装置にお金が掛けられなかった。モニターで精一杯だった。
・だから、アリーナコンサートにもかかわらず、今夜は火薬すら使わない。
・光と音だけのコンサートを充分にお楽しみください。

・・・やっぱりお金の話が非常に多い気がいたします。

そうは言ってもやはり記念コンサート。やっぱりゲストは登場します。
流れてきたのは、「オリビアを聴きながら」。歌いながら現れたのはそう、スペシャルゲストの杏里です。続けて「悲しみがとまらない」を昔ながらのアレンジで披露してくれました。ご存知のように、杏里のアルバムを角松敏生は4枚プロデュースしております。10月にパシフィコ横浜で行われた、杏里の25周年コンサートにも角松敏生はゲスト出演しました。そのつながりで今回の出演となったようです。角松さんの弁によれば、そういうのを業界用語でバーターというそうです。

そして、角松敏生と杏里のデュエットで、「I CAN'T EVER CHANGE YOUR LOVE FOR ME」を。この曲、杏里はいまでもコンサートではよく歌うそうです。「オリビアを聴きながら」も「悲しみがとまらない」も、そしてこのデュエットも、今年は生で2回も聴いてしまいました。やっぱりいい曲は何回聴いてもいいと、再確認いたしました。

杏里の25周年記念のコンサートの模様は、75号の裏オキラクページで私がレポートしておりますので、よろしかったら読んでみてくださいね。

お気楽75号 裏オキラクページ
http://www.t-cube55.com/ura_okiraku/urabanashi/75.html


Maochicaのコーナーをはさんで、始まったのはバラードコーナー「MERMAID PRINCES」「RAMP IN」「DESIRE」と続きます。特に「DESIRE」の熱い熱い歌いっぷりと演奏っぷりは、鬼気迫るものがありました。

そして、バラードコーナーの最後は「WHAT IS WOMAN」。この曲は、なんと角松敏生が昔編集した秘蔵映像と共に披露されました。この映像、長年一緒にやってきたが、リベンジライブの開催を見ることなく急死してしまった、舞台監督さんと共に作り上げたもので、その舞台監督さんに捧げるために今回は映像つきでとのことです。角松敏生の親友で、この曲に関係が深いカラパナのベーシストケンジ・サノもコーラスに加え演奏されたこの曲、これもまたまるで火が出るようなバラードでした。すごかった。映像もイラク戦争(?)の光景などを交えたシリアスなもので、歌詞と共に見るものの胸を打ちます。

「WHAT IS WOMAN」の余韻も冷めやまぬ中、流れてきたのは、「WAY TO THE SHORE」。・・・まさか、と思ったら、やっぱり来ました。来ましたよ。ギターインストゥルメンタルの名曲「SEA LINE」。角松敏生はシンガーとしてだけではなく、ギターの腕前もなかなかのもので、自身のギターをフィーチャーしたインストゥルメンタルのアルバムも2枚リリースしています。この「SEA LINE」、私は高校生のころに毎日のように聴き狂っておりました。角松敏生というアーティストの名前を意識するようになったのもこの曲がきっかけです。生で聴けて、もう大感激でございました。

「君をこえる日」をブリッジにはさんで、始まったのは「I CAN GIVE YOU MY LOVE」。ここからイケイケナンバーばかりの後半戦の始まりです。「初恋」「DO YOU WANNA DANCE」「TOKYO TOWER」「もう一度 and then・・・」そして名曲「THE BEST OF LOVE」と怒涛のコンボ炸裂です。これでもう、会場のヴォルテージは最高潮に。美しき良き80年代が戻って来た感じです。

角松敏生も非常にノリノリで歌っていましたが、なんと言ってもスゴイのはバンドの演奏。特に青木智仁のスラップベースがこれでもかと言わんばかりにフィーチャーされまくりでした。こんなにベースソロが多い歌もののコンサートは初めて見ました。もちろん他のバンドメンバーも、熱いグルーヴの固まりになったような大迫力の演奏で、もう大満足。もうお腹いっぱいでございます。オジサン達の本気はこんなにスゴイんだぞ、というような底知れない力を見せ付けられました。ええ、もう思いっきり。そして「After 5 Crash」で大盛り上がりのまま本編終了です。

さあ、いよいよアンコール。

早速来ました、「TAKE YOU TO THE SKY HIGH」。開演前に折った紙飛行機はこの曲のためのもの。「♪スカ〜イ、ハ〜イ」のメロディーと共に一万人分の紙飛行機が会場中を舞います。80年代の角松敏生のコンサートに初めて来た人は、ほぼ全員この曲の紙飛行機の大乱舞に感激し、角松ファンになってしまいます。それにしても、やはり1万人以上もの紙飛行機は圧巻です。余計な仕掛けが今までなかった分、紙飛行機の効果もバッチリです。後ろから飛んできた紙飛行機が後頭部に刺さったりして、ちょっとだけ痛かったものの、すぐにその紙飛行機を拾っては投げ、拾っては投げ、と充分に堪能いたしました。及川光博「死んでもいい」ともまた違った会場の一体感。とっても楽しかったでございます。

続いて、これも定番曲「GIRL IN THE BOX」。この曲では、バンド全員が踊ります。左右に楽器を揺らしてステップを踏んだり、ジャンプしたりする青木智仁や浅野祥之なんて、ちょっと他のセッションでは見られません。当たり前か。曲終了でバンド全員力尽きて倒れるというお約束をはさんで、コンサートの締めの定番「NO END SUMMER」で一回目のアンコール終了です。角松敏生から思わず出た「リベンジ終了!」という叫び。ファンとの約束をやっと果たしたという充実感でいっぱいだった角松敏生の笑顔が、とても、とても印象に残りました。

そして、2回目のアンコール。

「リベンジはもう果たしたんで、これからの僕を見てもらっていいですか。」という言葉から始まった「君のためにできること」。この曲は今年8月に発売された、彼の最新シングルです。この曲で、彼は初のオリコンベストテン入りを果たしました。それだけに、彼のこの曲に対する愛着は並々ならないものがあるようです。また、この曲をここで見せたということは、もう過去は振り返らないぞ=昔の曲はやらないぞという、彼の強い決心の表われなのかなとも思ったり。

そうは言っても、最後の最後で一人で登場した角松敏生。会場の中央に移動して、デビューのきっかけになったバラード「STILL I'M IN LOVE WITH YOU」を自分のアコースティックギターの弾き語りで歌ってくれました。この曲は、凍結ライブの最後の最後で、マイクを通さずに、自分の声だけで歌い上げたという伝説を持っている曲です。さすがに今回はマイクを通していましたが、彼の熱唱に会場はもちろん大感激。そして、彼と一緒に大合唱。非常に感動的なシチュエーションでございました。

こうして、角松敏生ののリベンジは何もかも無事に終了したのです。

6:00に始まったコンサート、終わってみれば10:00少し前でした。またもや4時間近くもやってくれたのです。バンドも最高。演奏も最高。そして角松敏生の歌も最高でございました。何より、角松敏生に非常に気合が入っていたと感じられたのが、非常にうれしかったですね。

このコンサート、私の今年のベスト・コンサートでございました。

ピンクレディーの30倍面白く、ブライアン・セッツァー・オーケストラの20倍面白く、ユーミンのシャングリラIIの10倍面白く、杏里の25周年より5倍面白く、ミッチーの8年だよ、全員集合より3倍面白く、SMAPのMIJより2倍面白かったです。演奏の密度は今まで私が見たコンサートの中でもベストでした。これを基準にすると、とんでもないことになるなあなんてちょっと不安になりつつ、次のコンサートに臨むことしましょう。


<セットリスト>

M01.YOKOHAMA TWILIGHT TIME
M02.メドレー
  OFFICE LADY 
  OFF SHORE 
  If you・・・
  LUCKY LADY FEEL SO GOOD
  I CAN'T STOP THE NIGHT
  TAKE IT AWAY
  REMEMBER YOU
  OKINAWA
  この駅から・・・
  さよならなんて絶対言わない

M03.オリビアを聴きながら
M04.悲しみがとまらない
M05.I CAN'T EVER CHANGE YOUR LOVE FOR ME

M06.Maochicaの曲
M07.MERMAID PRINCES
M08.RAMP IN
M09.DESIRE
M10.WHAT IS WOMAN

M11.WAY TO THE SHORE
M12.SEA LINE

M13.君をこえる日
M14.I CAN GIVE YOU MY LOVE
M15.初恋
M16.DO YOU WANNA DANCE
M17.TOKYO TOWER
M18.もう一度 and then・・・
M19.THE BEST OF LOVE
M20.After 5 Crash


E1-01.TAKE YOU TO THE SKY HIGH
E1-02.GIRL IN THE BOX
E1-03.NO END SUMMER


E2-01.君のためにできること
E2-02.STILL I'M IN LOVE WITH YOU

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■今週の間違い大杉

引き続きひでがお送りする、前号お気楽78号の素の間違いを自ら発表し、間抜けっぷりを思いっ切りさらしてしまうのがこのコーナーでございます。

今週は調子に乗って、角松敏生について思いっっっきり語り倒してしまったので、短めにサクッと行きたいところですが、やはりそうは問屋が降ろしてくれませんでした。

今週は素の間違いが多いこと、多いこと。いつもより増量サービス、当社比3倍って感じでございました。でも、いいんです。今週もそれなりに面白いですから。こっちもバラし甲斐があるというもの。やはり面白いときには、面白いことが重なるもんなんです。

これぞ、お気楽スパイラル。

世の中って本当に不思議なものなんですねえ。

それでは、今週もお楽しみください。


>☆今週キーワード 〜最近のパソコン事情〜

おおっ、目次から素の間違いが発生してくれました。
素の間違いは、「今週キーワード」。正しくは、「今週のキーワード」でございます。
「ま」ぬけな間違いならぬ、「の」ぬけの間違いでございます。


>「がつん」と来たのは「SLEEPWALK」とい言う曲でした。

素の間違いは、「とい言う曲でした」。正しくは、「という曲でした」でございます。
浩子先生は相当「がつん」とやられたようです。ハンマーにでも、頭を殴られたのでしょうか。そのやられっぷりが、文章にも見事に表現されている、素晴らしい逸品でございます。どうやら、脳みその揺らぎを隠しきれないようです。


>世界に通用するマナーのことを「プロトコール」というんですよの。

素の間違いは、「いうんですよの」。正しくは、「いうんですのよ」でございます。
なんだか前回の浩子先生は、いいものにしろ悪いものにしろ、脳みそに刺激が与えられるごとに、言い回しが揺らいでしまうようです。これはまるで、「ねぇねぇ、きいてきいて」って言っておきながら、何を言っているんだか分からない幼稚園児みたいな感じだと思います。それだけ、彼女の心の鈴の音が、チリリリリリリリリリリと、鳴りまくってしまったのでしょう。


>椅子の背にバックをおいて、座っていたのだそうです。

素の間違いは、「バック」。正しくは、「バッグ」でございます。
「背にバック」ってありそうでない言葉ですな。「白い白線」「頭痛が痛い」をほうふつとさせる言葉でございました。


>これがあるとないとでで、大間違い!・・ではなくて、大違い!! 

素の間違いは、「あるとないとでで」。正しくは、「あるとないとでは」でございます。
これは脳みそへの刺激じゃあありませんね。きっと、足元の電気ストーブがなくなってしまったときのことを想像してしまって、ガクガクブルブルと震えがきてしまったのでしょう。別の意味での揺らぎっぷりが、見事に発揮されております。まったくもう想像力豊かなんだからぁ。クスッ。


>気づいた時きには、一気に「98へぇ」獲得でした。

素の間違いは、「気づいた時きには」。正しくは、「気づいた時には」でございます。
さすが、「98へぇ」獲得しただけのことはあります。ここでも、相当のビックリっぷりが」見事に表現されております。


>私は財布に中に30円しか入っていないという状態でもない限り、

素の間違いは「財布に中に」。正しくは、「財布の中に」でございます。
最後は私ひでの素の間違いでございます。どうやら、私もこのことを想像して、心の揺らぎを抑えきれなかったようです。浩子先生に負けないくらい、妄想がたくましくなってしまいました。さすが、姉弟だけのことはあるってもんです。でも、小学校3年生くらいまでならともかく、いい大人が財布の中に30円しか入っていないっていうのは、かなり心が揺らぐと思いませんか、みなさま。


単なる打ち間違いの中から、こんなにも気持ちがくっきりわかってしまうなんて、文章っていうのは本当に恐ろしいものです。

・・・いや、やはり正直に申し上げましょう。

わたくしも、ここまでこじつけられるとは、夢にも思いませんでした。

では、今週も謝ってしまいます。

どうも申し訳ございませんでした。


さて、今週のお気楽79号はみなさまお楽しみいただけたでしょうか。

今週も、このような素の間違いが炸裂しまくっていることは、もはや間違いがございませんが、こんなものにメゲることなく、NGワード探しにどしどしチャレンジしてくださりませ。

みなさまのご応募、心からお待ちしております。


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最後まで読んでいただいてありがとうござります。
今週もステキな1週間をお過ごしくださいませヽ(^o^)丿


 
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